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宮崎の実家に、なぜか多くの銅銭(穴銭)がある。筆者は小學(xué)校の時(shí)に大きな瓶にふたつ銅銭がびっしり詰まっていたのを覚えている。寫真は筆者提供。
宮崎の実家に、なぜか多くの銅銭(穴銭)がある。筆者は小學(xué)校の時(shí)に大きな瓶にふたつ銅銭がびっしり詰まっていたのを覚えている。上のほうから數(shù)枚ずつ取っては、野山に投げていた記憶がある。子ども時(shí)代、骨董品の価値が分からなかったことを反省している。大半は江戸時(shí)代鋳造された寛永通寶であるが、鬼籍に入った父が、コイン帳に一枚一枚入れ、かれこれ300種類以上はある。
日本史で宋銭の輸入が鎌倉(cāng)?室町時(shí)代に主に行われたことを?qū)Wんだ。我家に宋?明?清の穴開き銭があることは知っていたが、蘇州に駐在するようになって、この宋銭を見ながら、どういう運(yùn)命で宋(南宋時(shí)代はここ蘇州江南が繁栄の中心地)から、ここ宮崎に來(lái)たのか?想像の翼をひとり楽しんでいた。
これら宋?明?清の銅貨は渡來(lái)銭と言われ、遣唐使が中國(guó)から持ち帰ったのが始まりで、その多くは平安末期から鎌倉(cāng)?室町時(shí)代にかけて、幕府や民間貿(mào)易によって輸入された。日本古來(lái)の皇朝12銭(708年和銅開珎に始まり958年乾元大寶の250年間)の鋳造停止後、寛文10年(1670年)の渡來(lái)銭使用禁止令がでるまでの期間、我が國(guó)の通貨として広く使われた。使われた銅銭は唐末の開元通寶、景徳元寶(北宋)、紹煕元寶(南宋)、永楽通寶(明)など120種類で800年に渡る。
ちなみに、大阪駅前の古銭ショップで貨幣価値を聞くと、皇朝12銭で10萬(wàn)円?600萬(wàn)円、渡來(lái)銭で、300円?20萬(wàn)円の価値があると言う。今日からでも遅くない、中國(guó)にあるあっちこっちの露天商で骨董品が売られている。偽物が多いが、お寶もあるかも知れない。
ここに「康煕(こうき)通寶」という一枚の銅銭がある(寫真1)。裏には“蘇”と書いてある。このコインから筆者の探求心に火がつき、細(xì)かく調(diào)査を開始する事になった??禑洡趣锨鍟r(shí)代、西暦1662年?1722年に相當(dāng)する。調(diào)査するに、清時(shí)代銅銭は全國(guó)で鋳造された。ここ蘇州もその一つで、江蘇省鋳造所が作った銅銭は「寶蘇」と呼ばれ、この鋳造所は「寶蘇局」と呼ばれた。正式名稱は「寶蘇鋳銭局」で「寶」は銭を、「蘇」はもちろん江蘇と言う意味である。これが蘇州史上初めて作られた銅銭と言うことになる。
康煕7年(1668年)に設(shè)立、江蘇布政使が管理することになった。鋳造所は蘇州だけでなく、中國(guó)各地にあり、どこで鋳造したかを明確にするために、裏面右に「蘇」を左に満州語(yǔ)を記載した。蘇以外に廣?福?桂?河?同など多くの地方名がある。蘇州の「寶蘇局」は、石路吊橋を通りショウ門(ショウ=門構(gòu)えに昌)城內(nèi)を走る西中市を東に行くと中市橋に至り、その北の第24中學(xué)校付近であったようだ。蘇州新區(qū)からは31番のバスに乗ると、中街路を通り、中市橋に著く。そこが第24中學(xué)校の東隣である。學(xué)校の東に「久福里」が南北に走る。
この久福里周辺にかけて16機(jī)の鋳造所があり、月間3萬(wàn)斤(15トン)溶解した。この重量は個(gè)數(shù)にして28卯/年に相當(dāng)と記録されている?!该工趣いg位は、當(dāng)時(shí)の金銭の個(gè)數(shù)の単位である。千個(gè)の銅銭が1串になる。この串を1.2萬(wàn)集めると1卯になる。すなわち1卯=1200萬(wàn)個(gè)となり、年間個(gè)數(shù)にすると、3.4億個(gè)の銅銭が造られた。
康煕通寶以外にも「雍正通寶」もあり、200年近くここで製造されていたことになる。久福里に行っても、ここに清時(shí)代「寶蘇局」があって銅銭を造っていたなど一切の掲示物がないが、人通りのない寂しい路地に古めかしい建屋を見るばかりである。たかが銅銭1枚であるが、どういう経緯で日向?qū)m崎まで來(lái)たか、そしてなぜ造られた場(chǎng)所を訪問(wèn)したいと思ったのか、これが「金の縁」と言うものであろうか。
■筆者プロフィール:工藤和直
1953年、宮崎市生まれ。韓國(guó)で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國(guó)電子産業(yè)振興會(huì)より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國(guó)江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會(huì)社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會(huì)社執(zhí)行役員兼務(wù)。蘇州日商倶楽部(商工會(huì))會(huì)長(zhǎng)として、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。
■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國(guó)で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國(guó)電子産業(yè)振興會(huì)より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國(guó)江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會(huì)社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會(huì)社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會(huì))會(huì)長(zhǎng)として、蘇州市ある日系2500社、約1萬(wàn)人の邦人と共に、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。2015年からは最高顧問(wèn)として中國(guó)関係會(huì)社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國(guó)関係會(huì)社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國(guó)や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進(jìn)め方」など多方面で講演會(huì)を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。
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