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江蘇省蘇州市の西方に天平山という、ハイキングに適し、秋は紅葉で賑わう山がある。この山に「憂楽坊」と言う石碑が建っている。これが範(fàn)仲淹の記念碑である。寫真は筆者提供。
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江蘇省蘇州市の西方に天平山という、ハイキングに適し、秋は紅葉で賑わう山がある。この山に「憂楽坊」と言う石碑が建っている。これが範(fàn)仲淹の記念碑である。範(fàn)仲淹(Fan Zhong-yan)は中國史上優(yōu)れた政治家であり、文學(xué)者である。彼は政治上卓越なる能力を見せ、政治?軍事上で非凡なる才能を見せた。その名作「岳陽樓記」に「先天下之憂而憂後天下之樂而樂」“天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ”という名句がある。後世の人々から愛され、いわゆる政治家としての守るべき「先憂後楽」の姿勢を述べた文章として、よく知られている。水戸徳川家江戸上屋敷內(nèi)の庭園「後楽園」の名も、この文章から徳川光圀公が命名したものである。では、蘇州の大政治家「範(fàn)仲淹先生」の少年時(shí)代の出來事を紹介しよう。
【その他の寫真】
範(fàn)仲淹(西暦989?1052:寫真1)は10世紀(jì)宋代の人で、蘇州呉県(蘇州市)の出身である。3つのときに父を失い、家計(jì)はとても苦しかった。十幾つの時(shí)、範(fàn)仲淹は學(xué)問を極めるため故郷を離れて、応天府書院(河南商丘)に來た。貧しかった範(fàn)仲淹は、十分な食事もできず、1日に1度粥を朝早く煮てそれを冷まし、固まったらそれを3食に分けて漬物を細(xì)かく刻み込み、これを1日の3食にしてしのいでいた。
ある日、範(fàn)仲淹がお粥を食べていると、ある友人が尋ねて來た。彼が食べている物を目にし、気の毒に思って金を出し、うまいものを食べるよう勧めた。ところが範(fàn)仲淹は、遠(yuǎn)まわしにこれをきっぱりと斷った。そこでこの友人は、翌日多くの料理をもって來たので、範(fàn)仲淹は仕方なく受け取った。
數(shù)日後、訪ねてきたその友人は、數(shù)日前にもってきた料理に箸も付けられておらず、魚などは腐っているのを見て怒り出し、「君は高潔すぎるよ。少しの物も受け取らないとは、友人として悲しい」と言った。範(fàn)仲淹は、笑いながら「誤解しないでくれ、食べないんじゃない。食べる勇気がないんだ。魚や肉を食べた後、粥と漬物が喉を通らなくなるのが怖いんだよ」と答えた。これに友人は感心し、範(fàn)仲淹をより敬服するようになった。
その後、ある人が範(fàn)仲淹の志を聞いた。範(fàn)仲淹は「私の志は、優(yōu)れた醫(yī)者か或いは立派な宰相になること、優(yōu)れた醫(yī)者は人の病を治せるし、立派な宰相は國をしっかり治めることができる」と答えた。26歳で科挙に合格して進(jìn)士、のちに宰相となり、宋代の著名な政治家となった。
北宋景祐2年(西暦1035年)故郷に知事として帰って來た範(fàn)仲淹は、南園に府學(xué)(人民路45號(hào):寫真2)を創(chuàng)建した。庶民の教育を重んじ、科挙試験の重要項(xiàng)目であった儒教にちなみ、孔子を祭る廟(びょう)と合わせ學(xué)堂とした。文廟と言われる所以(ゆえん)である。そこは江南一帯で最高の學(xué)堂となり、蘇州は科挙試験トップ合格者である「狀元」を全國で最も多く輩出した。當(dāng)時(shí)の敷地は10萬平米(現(xiàn)在は2萬平米)もあり、南面から見ると左に孔子廟、右に府學(xué)、いわゆる「左廟右學(xué)」の構(gòu)造である。左奧に明倫堂、右奧が大成殿となっている。
人民路側(cè)(學(xué)府側(cè))の出入口には北から狀元坊?會(huì)元坊?解元坊、そして進(jìn)士坊と學(xué)生の目標(biāo)が掲げてある門名があった?,F(xiàn)在の予備校で言えば、出入り口に東大門?京大門と書いてあるようなものである。この府學(xué)の北が、現(xiàn)在有名大學(xué)進(jìn)學(xué)校である江蘇省立蘇州中學(xué)(日本の高等學(xué)校に當(dāng)たる)となっている。
府學(xué)は碑刻博物館にもなっている?;乩趣摔锨Г虺à胧ⅳ辍ⅳ长蝺?nèi)容を研究することで、當(dāng)時(shí)の蘇州経済?政策?歴史?文化?科學(xué)?美術(shù)などを知る事ができる。この中に世界的重要文化財(cái)(全國重點(diǎn)文物保護(hù)物件に指定)となる「平江図」「天文図」「地理図」「帝王紹運(yùn)図」がある?!钙浇瓏怼工夏纤谓B定2年(西暦1229年)の克明な蘇州城內(nèi)地図である。南宋時(shí)代の蘇州市街地を克明に知ることができる。
蘇州「天平山」、秋は紅葉で有名になり多くの観光客が訪れる蘇州近郊の山々である。そこには、範(fàn)仲淹を含む多くの範(fàn)一族のお墓がある。
■筆者プロフィール:工藤和直
1953年、宮崎市生まれ。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會(huì)より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會(huì)社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會(huì)社執(zhí)行役員兼務(wù)。蘇州日商倶楽部(商工會(huì))會(huì)長として、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。
■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會(huì)より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會(huì)社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會(huì)社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會(huì))會(huì)長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會(huì)社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會(huì)社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進(jìn)め方」など多方面で講演會(huì)を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。
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