<コラム>ソウル南山にあった「乃木神社」跡を訪ねて

工藤 和直    2017年10月16日(月) 15時10分

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京城神社(國幣小社:京城府倭城臺、祭神:天照大神?國魂大神?大己貴命?少彥名命)は朝鮮神宮のあるソウル南山東側(cè)の麓にある(現(xiàn)在は私立リラ小學(xué)校と崇義女子大內(nèi))。一般には乃木神社と呼ばれていた。寫真は筆者提供。

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京城神社(國幣小社:京城府倭城臺、祭神:天照大神?國魂大神?大己貴命?少彥名命)は朝鮮神宮のあるソウル南山(ナムサン)東側(cè)の麓にある(現(xiàn)在は私立リラ小學(xué)校と崇義女子大內(nèi))。京城神社(寫真1)には、摂社として「南山天満宮?南山稲荷」があり、その舊社殿跡に「宇佐八幡」があり、近くに「乃木神社」があった。つまり、京城神社境內(nèi)に、天満宮、稲荷、八幡宮と乃木神社の4柱の祭神があったわけだ。一般には乃木神社と呼ばれていた。

その他の寫真

崇義女子大正門から上がる石段は、當(dāng)時の京城神社入り口の登り階段と場所が一致する(寫真2)。乃木神社は現(xiàn)在黃色い建屋のリラ小學(xué)校敷地內(nèi)にある。周囲には崇義女子大などがあり、木々に覆われた靜粛な場所でもある。この小學(xué)校の正門を右に行くと駐車場があり、その奧に南山院という福祉施設(shè)がある。まさにこの場所が乃木神社であった。南山院のところどころに、乃木神社の手水鉢や燈籠などの遺物が殘っている。手洗石槽には寄贈者の氏名(高木徳彌)と「昭和九年九月」の刻印があった(寫真3)。本殿跡の方向に(寫真4)を撮ったが、その場所がかつての乃木神社前の橋の部分であった(寫真5)。

燈籠臺と思われる石は椅子として使われている(寫真6)。まさに「逆さ石燈籠」である。仁川神社跡にも不思議と石燈籠が殘っていたが、なぜ現(xiàn)在まで破壊されずに現(xiàn)存するのか、実に不思議である。筆者が訪問した時、南山院から若い職員の方が出て來られ、丁寧な説明を聞きながら神社內(nèi)の遺跡を案內(nèi)していただいた(ただし韓國語)。參考に當(dāng)時の南山付近の地図を示す(図1)。

■筆者プロフィール:工藤和直

1953年、宮崎市生まれ。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務(wù)。蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。

■筆者プロフィール:工藤 和直

1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進(jìn)め方」など多方面で講演會を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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