慰安婦ドキュメンタリー『二十二』が描く女性たちの日常は、日本人が「見ないで済ませたい」現(xiàn)実―日本人學(xué)者

人民網(wǎng)日本語版    2017年9月27日(水) 19時(shí)50分

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戦時(shí)中、日本軍によって性奴隷にされた女性の「いま」を描いたドキュメンタリー映畫『二十二』が、中國(guó)で若者を含めた幅広い世代の関心を集めている。

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戦時(shí)中、日本軍によって性奴隷にされた女性の「いま」を描いたドキュメンタリー映畫『二十二』が、中國(guó)で若者を含めた幅広い世代の関心を集めている。そのカメラが捉えたのは、元日本軍性暴力被害者(従軍「慰安婦」)というより、90歳前後を迎えたどこにでもいる深い皺に刻まれた「おばあさんたち」である。説明やナレーションもごくわずかで、淡々とおばあさんたちの「現(xiàn)在」と「日?!工坤堡诚窕丹欷皮い搿?/p>

その他の寫真

日本ではまだこの映畫について「ニュース化」されていない。グローバル化した情報(bào)環(huán)境を考えれば、公開まもないという時(shí)間の短さは障害にはならない。むしろ性奴隷問題への関心のあり方が反映していると見るべきだろう。

日本社會(huì)では、戦爭(zhēng)の問題一般にいえることだが、戦時(shí)性奴隷に対する責(zé)任問題をどう考えるかにかかわらず、それを「過去」の問題、つまり「七十?dāng)?shù)年前の問題」として捉える傾向が強(qiáng)い。彼女たちを「売春婦」とみなして日本軍や政府の責(zé)任を否定するにせよ、その被害と責(zé)任を認(rèn)めて尊厳の回復(fù)と賠償を行うべきだと考えるにせよ、未だに解決を見ない「過去」に関する問題だとみなしている點(diǎn)は共通している。

「慰安婦」たちの置かれた歴史的経過や彼女たちの存在にほとんど関心も理解も持っていない多くの市民も同様である。戦後をどのように生き、晩年の今をどう暮らしているかにまで想像力が及ぶのは、『二十二』に登場(chǎng)した若い日本人女性のように、直接的な支援活動(dòng)をするごくわずかな人々などに限られよう。おばあさんたちとその家族が今どんな思いでどのように生きているのかを知れば、日本社會(huì)で歴史問題を論じる際に常套句のように出てくる「いつまで過去を問題にするのか」といった「被害者」的ポジションへの居直りは成り立たなくなる。だから、『二十二』が映し撮った「おばあさん」の「日常」は、告発性が直接的なものではないこともあり、「二國(guó)間條約で解決済み」だとして見ないで済ませたい現(xiàn)実なのではないだろうか。

筆者が中國(guó)滯在中に足を運(yùn)んだ映畫館でもそうだったが、観客には若者が多いという。中國(guó)の若者にとっても、「慰安婦」たちの「日?!工取脯F(xiàn)在」はショッキングなものだったようだ?!笐闋?zhēng)映畫」のイメージにつきまとう嘆き悲しむ被害者、日本軍を糾弾する大きな聲、あるいは感情を失った諦念といった「極端さ」とは無縁の畫面が続き、おばあさんたちは家族とご飯を食べ、テレビを観て、時(shí)には笑う。もちろん、顔に刻まれた皺の深さと同じくらい深遠(yuǎn)で読み取りがたい表情を浮かべることもある。その淡々とした時(shí)間の流れに、かえって殘酷さと深刻さを感じ取ったのかもしれない。

おばあさんたちがあまりに語らず、抑制的で、清濁を合わせたありのままの現(xiàn)実をそのまま生き抜こうとしているかの姿は、観る者にお前は何を感じたかという「現(xiàn)在的」で「國(guó)境を越えた」問いを投げかけていると感じたが、ここではそれに深入りしない。むしろ、日本でも中國(guó)でも人々の関心の外に置かれてきたおばあさんたちの「現(xiàn)在」の「日?!工讼颏悉Δ长趣?、歴史問題ですれ違い、混迷を深める東アジアの新しい出発點(diǎn)になる可能性を有していると感じた。ただ、そうした示唆を與えてくれる『二十二』と、日本の同種の文蕓作品を比べてみると、不安を感じずにはいられない。

戦爭(zhēng)経験を現(xiàn)在との繋がりで捉えられず、過去の問題とみなす日本社會(huì)の傾向は、映畫や文學(xué)などの文蕓作品でも例外ではない。90年代以降「慰安婦」問題は日本社會(huì)で大きな論爭(zhēng)的課題となったにもかかわらず、「現(xiàn)在」の課題として主題化した映畫や文學(xué)作品はきわめて少なく、あるとしても韓國(guó)で製作された映畫の上映や深夜時(shí)間帯に放映されるテレビ?ドキュメンタリーくらいである。

日本でも戦爭(zhēng)に関する映畫や文學(xué)そのものは決して少ないわけではない。戦爭(zhēng)を取り上げた文蕓作品には、第一に、原爆や都市空襲の被害や悲慘、疎開先での苦難、中國(guó)大陸など侵略先からの引き揚(yáng)げや抑留などに伴う悲劇を中心に取り上げたものが多い。日本人も「被害」を受け苦労を重ねたことは事実だが、その「被害」に先立って日本自ら夥しい「加害」をもたらしていた側(cè)面は描かれない。

第二に、國(guó)のために命を賭けて死んでいった人々や、戦後復(fù)興の中で勤勉に努力した姿を日本人の「美徳」として描く文蕓作品が近年特に増えている。特攻隊(duì)員や零戦、巨大艦船の開発および「活躍」は繰り返し取り上げられるテーマである。これらは、物資や環(huán)境が十分ではない戦時(shí)中や復(fù)興過程における日本人の勤勉さや忍耐強(qiáng)さを強(qiáng)調(diào)し、美化することで、現(xiàn)在にも繋がる日本人の自己イメージを肯定する機(jī)能をもっている。困難の中で輝く勇敢さや逞しさ、豊かな知恵などは賞賛に値するものであったとしても、その一面ばかりを描いた作品が多産されると、天皇を含めた戦爭(zhēng)指導(dǎo)者の過ちや、民衆(zhòng)の積極的戦爭(zhēng)協(xié)力といった負(fù)の側(cè)面が存在しなかったことにされかねない。

つまり、日本の戦爭(zhēng)文蕓の多くは、日本の被害あるいは奮闘に焦點(diǎn)が當(dāng)てられ、加害國(guó)であったことを意識(shí)させない文化の一端を擔(dān)っている。日本が行った戦爭(zhēng)の全體性を視野に収めた作品はまだごくわずかしかなく、大衆(zhòng)的な作品ではなおさらそうである。自國(guó)の「被害」がどのように生み出されたのかさえ焦點(diǎn)化しないのであるから、他國(guó)の被害がどのようにもたらされ、戦中戦後の被害狀況や被害者の感情が文蕓作品の対象にならないのも不思議はない。

これは、文蕓作品にのみ見られる現(xiàn)象ではない。1950年代に新中國(guó)の撫順と太原の戦犯管理所に収容された日本人戦犯らは、戦時(shí)中の行為の意味を振り返る特徴的な教育改造を経て、自己の加害責(zé)任を積極的に認(rèn)めるようになったことで知られる。筆者は彼らへのインタビュー調(diào)査を重ねてきたが、抗日分子の虐殺や拷問などを率直に語りながら反省を表明する彼らでも、自ら性奴隷を犯したり部落掃蕩などの際に強(qiáng)姦?輪姦を繰り返したことまで語る人はほとんどいなかった。生體解剖の罪を証言し続けた元軍醫(yī)でも、90年代になって女性活動(dòng)家に指摘されるまで、「慰安婦」は売春婦だったという認(rèn)識(shí)を共有していたと語った。一定の反省に至ったといえども、現(xiàn)在の姿にまで想像力を及ぼし、自らとの関係性を考えることは容易ではないことを物語る。

『二十二』がそうであったように、文蕓作品はわれわれの想像力を解放したり、良い意味で裏切ったりすることで、硬直した現(xiàn)実や認(rèn)識(shí)を新たなものにさせてくれる?!袱肖ⅳ丹螭郡痢工蛑黝}にした映畫や文學(xué)が日本で作られ、被害だけでなく加害も受け止められるとき、日本社會(huì)と「おばあさんたち」との関係は初めて新しい地平へと辿りつくのではないだろうか。(提供/人民網(wǎng)日本語版?文/石田隆至明治學(xué)院大學(xué)國(guó)際平和研究所研究員)

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