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青島には二つの酒がある。一つは皆が思い付く青島(チンタオ)ビールである。もう一つは2300年の歴史を誇る即墨(ジーモー)老酒である。寫(xiě)真は筆者提供。
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青島には二つの酒がある。一つは皆が思い付く青島(チンタオ)ビールである。もう一つは2300年の歴史を誇る即墨(ジーモー)老酒である。青島ビールは115年の歴史をもつ中國(guó)で最も古いビールのひとつである。主力工場(chǎng)(寫(xiě)真1)は青島駅から北東に約3キロメートル行った臺(tái)東鎮(zhèn)地區(qū)にある(青島市登州路)。即墨老酒は、青島ビールからほぼ北に50キロメートル、春秋の時(shí)代から同じ名前を持つ「即墨」の銘酒である。即墨は青島ができるまでは山東省東部で最大の都會(huì)であった。即墨故城は春秋時(shí)代に古硯鎮(zhèn)大朱毛村一帯にあった南北5キロメートル×東西2.5キロメートルの外城と內(nèi)城から成る古代都市である(寫(xiě)真2)。その歴史は紀(jì)元前567年春秋時(shí)代になるので、2600年の歴史が漂う。
青島麥酒は、1903年に山東省青島で製造が始まった、ビールのブランド。中國(guó)で最も古いビールの一つである。青島は1898年よりドイツの租借地となり、租借地経営の一環(huán)としての産業(yè)振興策としてビール生産の技術(shù)移転を行った。1903年ドイツの投資家がこの地でのゲルマンビール青島株式會(huì)社を興してビール製造を開(kāi)始、ドイツのビール醸造技術(shù)を採(cǎi)用したのが始まりである。1914年、第一次世界大戦で日本がドイツ権益であった青島の租借権等を引き継ぐことを認(rèn)められ、その一つであった青島ビールも日本の大日本麥酒が買(mǎi)収し経営を行うこととなった。大日本麥酒は設(shè)備を拡大して、この工場(chǎng)で札幌ビールと朝日ビールの製造も行なった。1922年の山東還付條約によって山東半島に関わる日本側(cè)の諸権益は中華民國(guó)に返還されたが、青島ビールの経営は引き続き大日本麥酒が行った。
1945年の日本の敗戦によって青島ビールの経営権は中國(guó)側(cè)に完全に接収され、中華民國(guó)及び中華人民共和國(guó)國(guó)営企業(yè)による経営が行われた。青島ビールはドイツと日本の技術(shù)がブレンドされたものといえる?,F(xiàn)在世界5位のシェアであり、燕京ビールとともに中國(guó)トップシェア銘柄であるのも不思議でない。青島では、飲食店でビールを注文する時(shí)、銘柄でいうのでなく工場(chǎng)のナンバーで注文を出す。第一工廠(一廠)、第二工廠(二廠)、第五工廠(五廠)と言った類(lèi)だ。工場(chǎng)の違いが味の違い、個(gè)人の好み(辛口?甘口?にがみ?きれ?アルコール度)の違いになる。寫(xiě)真3は第一工廠製造のビールである。そして読者の方に言いたい、「青島ビールは、青島市製造品を青島で飲むのが一番うまい」。
老酒とは黃酒(紹興酒もその一つ)を長(zhǎng)く寢かせた醸造酒で、長(zhǎng)江の南の紹興酒は糯(もち)米に小麥麹を使うのに対し、北の即墨老酒は黍(きび)に米?麥麹を使う。黃酒がアルコール度15?18度に対し、即墨老酒は11度足らずと実に飲みやすい。色は薄い琥珀色から紹興酒のように醤油色があるが、濃い色にも関わらず非常にまろやかである。黍を焙煎して作るのでやや焦げ臭いのが特徴である。この即墨老酒(寫(xiě)真4)には2300年前の経緯があるのに驚いた。
紀(jì)元前284年戦國(guó)時(shí)代、燕の將軍「楽毅」が、5カ國(guó)連合軍を率いて斉を攻めた。斉の首都「臨シ(シ=緇の糸なしにさんずい偏)」をはじめ小城70余城がことごとく陥落する中、キョ(草かんむりに呂)と即墨の2城のみがとともに斉側(cè)に殘った拠點(diǎn)となった。その後數(shù)年に渡る篭城攻防の末、即墨は、將軍「田単」の登場(chǎng)によって落城することなく、また彼の活躍によって斉は國(guó)土を再び回復(fù)することができた。即墨老酒は將軍「田単」が燕との戦いの前に兵士と飲み、ついには燕軍を破る大勝利となったという縁起物の黃酒である。勝負(fù)事がある時(shí)或いはお祝いの時(shí)に飲む酒となった。
さあ、今宵もドイツと日本の技術(shù)による青島ビールでまず乾杯し、戦國(guó)時(shí)代に起こった2300年前の故事を思い出しながら、10月4日中秋の夜に家族や友と一獻(xiàn)どうであろう。
■筆者プロフィール:工藤和直
1953年、宮崎市生まれ。韓國(guó)で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國(guó)電子産業(yè)振興會(huì)より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國(guó)江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會(huì)社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會(huì)社執(zhí)行役員兼務(wù)。蘇州日商倶楽部(商工會(huì))會(huì)長(zhǎng)として、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。
■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國(guó)で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國(guó)電子産業(yè)振興會(huì)より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國(guó)江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會(huì)社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會(huì)社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會(huì))會(huì)長(zhǎng)として、蘇州市ある日系2500社、約1萬(wàn)人の邦人と共に、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。2015年からは最高顧問(wèn)として中國(guó)関係會(huì)社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國(guó)関係會(huì)社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國(guó)や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進(jìn)め方」など多方面で講演會(huì)を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。
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