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歐米の人たちと京都の四條通りを歩いた時のことである。街は碁盤の目のように細い道が交差している。信號が赤になって、歩いていた人たちが急に立ち止まった。全然車が走ってくる様子もないのにである。すると彼らが「なぜ渡らないのだ」と聞くのである。
歐米の人たちがいつも感心するのは日本人の交通マナーの良さである。
京都の四條通りを一緒に歩いた時のことである。京都の街は碁盤の目のように細い道が交差している。道幅3メートルほどの一方通行の道で、信號が赤になって、せわしなく歩いていた人たちが急に立ち止まった。全然車が走ってくる様子もないのにである。すると彼らが「なぜ渡らないのだ」と聞くのである。そう聞かれるとこちらも困ってしまう。「信號が赤だから渡ってはだめなのだ」としか言いようがない。するとすかさず、「機械に管理されてもストレスを感じないのか。自分たちにとって信號はただの目安で、自分のリスクで歩くのだから、干渉されたくない」と話していた。
以前、米國で自動車のシートベルトの裝著を義務付けた時に相當の反対があった。事故に遭って死のうが死ぬまいが、それは個人の自由で、法律でそんなことまで縛られるのはいやだというのがその理由だった。
どちらの考え方が理にかなっているかはわからない。ただ、信號通りに歩行する日本人がニューヨークのブロードウェーや五番街などでとまどう様子をよく見かける。信號に関係なく橫斷する人たちに混じって、日本人の団體だけが渡ろうか、渡るまいかと橫斷しかけては後ずさりしているのである。道の渡り方にもノウハウがあり、慣れも必要であるので、信號通りに歩くのが一番安全であろう。
中國の大都市の交通事情はもっとひどい。すごい數(shù)の歩行者、自転車、牛車、耕運機が入り亂れている中を、自動車がけたたましく警笛を鳴らしていく様子は、自動車に乗っていて怖くて目をつぶってしまうほどである。まさに交通ルールとマナーを今から作り、教えていく段階なのであろう。
ことほどに、交通事情もそれぞれのお國柄があって面白い。
立石信雄(たていし?のぶお) 1936年大阪府生まれ。1959年同志社大學卒業(yè)後、立石電機販売に入社。1962年米國コロンビア大學大學院に留學。1965年立石電機(現(xiàn)オムロン株式會社)取締役。1995年代表取締役會長。2003年相談役。 日本経団連?國際労働委員會委員長、海外事業(yè)活動関連協(xié)議會(CBCC)會長、財務省?財政制度等審議會委員等歴任。
北京大學日本研究センター顧問、南開大學(天津)顧問教授、中山大學(広州)華南大學日本研究所顧問、上海交通大學顧問教授、復旦大學顧問教授。中國の20以上の國家重點大學で講演している。
■筆者プロフィール:立石信雄
1959年立石電機販売に入社。1965年立石電機(現(xiàn)オムロン株式會社)取締役。1995年代表取締役會長。2003年相談役。 日本経団連?國際労働委員長、海外事業(yè)活動関連協(xié)議會(CBCC)會長など歴任?!弗蕙庭弗幞螗趣?a target='_blank' href='http://www.wenhuatang.com/search.php?filter=ノーベル賞'>ノーベル賞」といわれるSAM(Society for Advancement of Management)『The Taylor Key Award』受賞。同志社大名譽文化博士。中國?北京大、南開大、上海交通大、復旦大などの顧問教授や顧問を務めている。SAM(日本経営近代化協(xié)會)名譽會長。エッセイスト。
立石信雄
2017/2/19
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