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31日、中國(guó)のあるインターネットユーザーはこのほど、共に日本に植民地支配された韓國(guó)と臺(tái)灣の対日感情が異なる理由について3つの點(diǎn)を挙げている。寫真は臺(tái)灣の人気観光スポット、九フン。
2017年1月31日、中國(guó)のあるインターネットユーザーはこのほど、共に日本に植民地支配された韓國(guó)と臺(tái)灣の対日感情が異なる理由について3つの點(diǎn)を挙げている。
このユーザーは「1895年の清日馬関條約(下関條約)の署名により臺(tái)灣は日本の植民地となり、その10年後の1905年の日韓乙巳保護(hù)條約(第二次日韓協(xié)約)の署名により朝鮮半島(北朝鮮と韓國(guó))は日本の植民地となった。1945年8月15日に日本が無(wú)條件降伏を宣言したことで、臺(tái)灣と朝鮮半島は植民統(tǒng)治から解放され自立へ移った。韓國(guó)の仇日、反日感情は続いているのに、同様に日本の統(tǒng)治を受けた臺(tái)灣が親日なのはなぜか」とし、その理由について「異なる起源」「不徹底な清算」「米國(guó)の介入」の3つを挙げている。
1つ目の「異なる起源」について、このユーザーは「馬関條約により清朝は臺(tái)灣島を日本へ割譲した。臺(tái)灣側(cè)からすれば、主人から売られた奴僕のようなものであり、傷心紛れに新しい主人と暮らす以外に、日本の占領(lǐng)前に限れば臺(tái)灣海峽を渡り本土で生活することもできた。一方の朝鮮半島は異なる。日本は朝鮮人の故郷を全て占領(lǐng)し、朝鮮人は中國(guó)の東北地方や上海へ渡ったとしても自國(guó)が消え異郷へ流れたという事実を変えられない。そのため多くの愛國(guó)志士が殘り日本人との爭(zhēng)いを続けた」と指摘。
次に「不徹底な清算」について、「日本の降伏後に朝鮮半島は二分された。韓國(guó)が獨(dú)立後にまず行ったことは裏切り者を清算する運(yùn)動(dòng)であり、悪人を助けて悪事を働いた裏切り者を徹底的に消滅することに容赦なかった。加えて、日本は折に觸れて靖國(guó)神社を參拝し、過(guò)去の誤った行為を決して認(rèn)めず、韓國(guó)人のもろい神経を刺激し続けた。ゆえに韓國(guó)は現(xiàn)在に至るまで日本を憎しみ恨む態(tài)度を持ち続けている。一方、第二次大戦後の臺(tái)灣は、日本が殘した禍根に対して徹底清算することなく、精力を內(nèi)戦に投じ、その後も日本に気を使ってきた。歴史を清算する精力などなかった」と主張。
「米國(guó)の介入」については、「韓國(guó)がこれほどまでに公然と反日である背景には米國(guó)の影が欠かせない。米國(guó)の極東地域におけるゲームは強(qiáng)者を押さえつけ各國(guó)を爭(zhēng)わせるというものだ。米國(guó)は日本に好き勝手させるはずはなく誰(shuí)かと競(jìng)い合わせようとする。バナナを生産するだけのフィリピンや実力不足のタイではだめだ。つまるところ日本を代々恨み、経済も成長(zhǎng)した韓國(guó)ということになる。韓國(guó)と日本の不仲の背後で米國(guó)は喜ぶというわけだ。臺(tái)灣はどうか。米國(guó)が臺(tái)灣を支持して何を行っているかは言うまでもない」としている。(翻訳?編集/柳川)
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