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“旅は道連れ世は情け”PCやスマホが全盛の時代、中國でも見知らぬ他人との関わりは昔よりは希薄となりつつあるのだろうが、旅で出會った人たちとの會話で中國の実狀や生活実感に觸れるのも楽しみの一つ。寫真は「農(nóng)村客運車」。筆者撮影。
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“旅は道連れ世は情け”PCやスマホが全盛の時代、中國でも見知らぬ他人との関わりは昔よりは希薄となりつつあるのだろうが、旅で出會った人たちとの會話で中國の実情や生活実感に觸れるのも楽しみの一つ。
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今度の雲(yún)南省昆明の旅では一日、大理から200數(shù)十キロ離れた四川省方向にある町剣川県まで長距離バスに乗り、そこから更に小型のボックスカーを改造した6、7人乗りの「農(nóng)村客運車」という乗合バスで約1時間走ったところにある沙渓鎮(zhèn)という地に向かう。
大理の下関という所にあるバスターミナル(汽車客運站)から剣川へは道も整っており、トウ川(トウ=登におおざと)からジ源(ジ=さんずいに耳)という所までは高速道路を走る。公共バスは快適とは言い難いが、中國製バスも性能は昔と違い、海外製品と比べてもさほどの遜色はない。何といっても料金は安く、39元(1元約16円)。剣川から沙渓の「農(nóng)村客運車」は定員になり次第発車する。料金は13元だが、道は細くて曲がりくねっている。おまけに中國ではどこでもそうだが、運転手が運転しながら攜帯電話を使うので気が気でない。
その起源は唐代に遡るとされ、明、清代に盛隆を迎えた雲(yún)南省の名産プーアール茶の産地である普ジ(ジ=さんずいに耳)辺りを出発したお茶を載せた馬の隊商ルート“茶馬古道”。沙渓という町は茶馬古道の宿場町として最も當時の様子を殘しているということで、その先にある観光地麗江ほどではないが近年観光客の數(shù)も増えつつあるようだ。茶の運搬ルートは沙渓の手前大理で別れて、一方はここを経由しチベット方面へ、もう一方はネパール、インドへと向かったとされる。雲(yún)南省は中國で少數(shù)民族と稱される漢族以外の民族55の內(nèi)、半數(shù)近くの26の民族が暮らしているとされるが、この辺りはイ族、漢族、回族が多いようだ。イ族はチベット系とされるが、そのためか町ではチーズなどの乳製品を使った“小喫(スナック)”等も見かける。気候は日本の本州に似ており、キノコ類も豊富でマツタケも売られていた。
この沙渓に向かう「農(nóng)村客運車」にたまたま乗り合わせた女性二人組の旅行客。一人は四川省成都から、もう一人は東北地方からということだが、偶然旅の途中で知り合ってここまで一緒に來たのだという。成都から來た女性は31歳、最近仕事を辭めて時間があるので中國國內(nèi)をあちこち旅行しているとのこと。「そんな歳には見えないね」というと、東北出身の女性は「私は80後(パーリンホウ=一人っ子政策が始まって以降の世代で80年代に生まれた人たちの呼稱)でもないわ」、「37歳よ」と教えてくれた。二人とも獨身とのこと。二人の話を聞くともなく聞いていると、結(jié)婚、親の話、老後のことなど身の上話となり、東北出身の女性が、「私も一時はずっと年上の男性との結(jié)婚も考えたけど、結(jié)局は一人もいいかなと思うようになった」と言ったところで私がクスリと笑うと、もう一人が私の方を向いて、「これも中國の現(xiàn)実よ」と言った。
最近メディアが報じるところでは、中國では2015年末時點で獨身者の數(shù)は約2億人となっており、民生部の統(tǒng)計では獨身人口の比率は90年の6%から13年には14.6%に上昇しているのだそうだ。2010年の第六次人口調(diào)査では、30歳以上の未婚女性の比率は2.47%と、10年前に比べ3倍近くになっており、積極的に獨身を選択する女性の増加が顕著になっているとしている。
中國は中華人民共和國が成立して以降、幾度かの獨身者ブームを経験している。第一次は50年代に「婚姻法」が施行されたことで。第二次は、70年代下放された知識青年が都市に帰るための離婚現(xiàn)象が起こった時。第三次は90年代以降、改革開放政策に伴い家庭観念の変化によるもので、現(xiàn)在はそれに次ぐ高度成長による女性意識の高まりだとされる。日本ほどではないが、この面でも中國は日本を追いかけているようだ。
沙渓から剣川への帰りの「農(nóng)村客運車」では四人グループの女子高校生と道連れになった。彼女らは沙渓には高校がないので剣川の高校の學生で、寄宿舎に帰るところだと言う。毎週週末には自宅に戻り、日曜の午後には宿舎に帰るのだという。沙渓は剣川県に屬する鎮(zhèn)という行政區(qū)で、日本の町か村に相當するのだが、2011年時點の人口は2萬3000人余で、日本ならば決して小さいわけではない。となるとこの村の高校進學率はどうなんだろう。彼女たちは當然大學進學を狙っているのだろう。中國でも大學卒業(yè)後の就職難が言われるが、それでも大學卒の資格は農(nóng)村の若者たちには魅力で、親の期待も大きいのだろう。
■筆者プロフィール:畝田 宏紀
1956年岡山県倉敷市に生まれ、現(xiàn)在東京在住。神戸市外語大中國語科卒。大學在學中、改革開放政策が始まる直前の1978年に中國に留學。香港駐在11年と中華圏での滯在歴は計15年。金融業(yè)界に30年間従事し、主に大中華圏をはじめアジアでのビジネスが長い。特に最近までの13年間は中國経済、産業(yè)、企業(yè)分析に従事。興味は金融、経済にとどまらず、歴史、文化、言語など幅広い分野にわたる。
■筆者プロフィール:畝田 宏紀
1956年岡山県倉敷市に生まれ、現(xiàn)在東京在住。神戸市外語大中國語科卒。大學在學中、改革開放政策が始まる直前の1978年に中國に留學。香港駐在11年と中華圏での滯在歴は計15年。金融業(yè)界に30年間従事し、主に大中華圏をはじめアジアでのビジネスが長い。特に最近までの13年間は中國経済、産業(yè)、企業(yè)分析に従事。興味は金融、経済にとどまらず、歴史、文化、言語など幅広い分野にわたる。
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