日本で卓球センターを開設(shè)、「ピンポン外交」を展開する中國人―中國紙

人民網(wǎng)日本語版    2016年10月23日(日) 8時0分

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日本の卓球愛好者の卓球に対する情熱は、リオ五輪の日本人の成績を理由に冷めた狀態(tài)になってはいない。寫真は卓球を教えるトウさん(左から3番目)。

今年のブラジル?リオデジャネイロ五輪では、福原愛や水谷隼などの日本人選手が活躍したものの、中國の選手には勝てず、卓球では中國が金メダルを総なめにした。現(xiàn)在、リオ五輪の余韻はもう冷めてしまったが、日本の卓球愛好者の卓球に対する情熱は、リオ五輪の日本人の成績を理由に冷めた狀態(tài)になってはいない。東京大田區(qū)多摩川には「蒲田卓球センター」があり、ここでは素晴らしい卓球試合が毎日のように繰り広げられている。重慶日報が伝えた。

同センターの創(chuàng)始者である重慶出身のトウ荻(トウは、登におおざと)さんによると、「卓球をしに來ている人は、中國の卓球に対して敬意を抱いている。ほとんどが日本人で、勝負を挑みにきたり、レベルアップを目指していたり、卓球を習(xí)いに來たりしている人たち」だ。

日本に來た日から、トウさんは得意の卓球を武器に、「ピンポン外交」を行い続けている。

■江嘉良やオベ?ワルドナーとの対戦経験も

1963年生まれのトウさんは、小學(xué)生の時に卓球が好きになり、74年には、重慶市業(yè)余體育學(xué)校に特待生として入學(xué)し、卓球の練習(xí)を始めた。そして、5年生の時、重慶市の小學(xué)生卓球大會で優(yōu)勝した。

78年、トウさんは、四川省體工隊に入り、全國少年卓球大會にも參加。世界チャンピオンにもなった江嘉良とも対戦し、団體で3位に入った。82年、スウェーデンの卓球ナショナルチームが中國を訪問した際、トウさんは中國代表として、バルセロナ五輪男子シングルス金メダリストのヤン=オベ?ワルドナーと対戦し、1勝1敗の成績を殘した。その後、際立った成績を殘していたトウさんは、四川省體工隊卓球チームの副リーダーとなった。

トウさんは當(dāng)時を振り返り、「才能に恵まれていなかったのだろう。結(jié)局世界チャンピオンにはなれなかった」と話す。その後、85年に引退し、重慶に戻って、重慶大學(xué)で経済管理を?qū)Wんだ。

■日本で卓球センターを創(chuàng)設(shè)

重慶大學(xué)に通っていた間、トウさんは日本を訪問して、試合に參加したり、交流をしたりした。そして卒業(yè)後、重慶體育局で外交の仕事をするようになった。

90年、日本で日中友好都市卓球カーニバルが開催され、トウさんは「重慶広島チーム」のコーチとして參加した。また、広島卓球協(xié)會の招きで東京、広島の企業(yè)や學(xué)校を訪問し、3カ月間の特別講義を行った。

「日本人の卓球を習(xí)う姿勢は熱い」。92年、トウさんは休職して、日本に行き、橫浜國際言語學(xué)校で日本語を?qū)Wんだ。同學(xué)校に通っていた2年間で、トウさんは日本の中學(xué)校3校で卓球のコーチも務(wù)めた。さらに、日本語をマスターすると、日本體育大學(xué)に入學(xué)し、スポーツ心理學(xué)を?qū)Wんだ。98年に卒業(yè)してからは、日本に殘り、ある會社で卓球のコーチを務(wù)めた。

「中國の卓球を日本で発揚させるためには、自分のプラットホームが必要」。會社に屬している時、トウさんは、自分の理念や考え方、方法を貫くことは難しく、支持もなかなか得られないことに気付いた?!附踏ㄗ婴樽壳驁訾蜷_くように勧められ、ちょっとずつやってみようという気になった」とトウさん。

2003年、トウさんは蒲田卓球センターを東京大田區(qū)多摩川に創(chuàng)設(shè)。これまで、全ての精力をそこに注いで來た。中國人が開いている卓球センターという評判もあり、現(xiàn)地でも少しずつ知名度を上げていった。

大學(xué)の時に卓球サークルに入っていたという吉田さんは、「中國の卓球を教えてもらって、視野がとても広くなった」と話す。吉田さんは04年に、トウさんと対戦し、自分とのレベルの差を感じた。吉田さんは、トウさんの下で12年習(xí)い、コミュニティーの卓球大會で2度優(yōu)勝したこともある。

同センターでは、10代の學(xué)生から80代の高齢者まで、約100人が卓球を習(xí)っている?!妇毩?xí)や交流を通して、日本人の會員たちは中國の卓球というスポーツに、敬意を抱くようになる」とトウさん。

■得意の卓球を活用して「ピンポン外交」

トウさんは「日本に來て以降、得意の卓球を活用して、『ピンポン外交』を行ってきた。卓球センターの會員には、日本人だけでなく、日本で暮らしている中國人の卓球愛好家もたくさんいる。中には、重慶出身の人もおり、ここによく遊びに來る。ここは、切磋琢磨できるだけでなく、中國人と日本人が知り合い、交流し、友情を深められる場所となっている」と語る。08年から、トウさんは日本重慶同郷會の會長をしており、同會の會員は今、300人以上となっている。

卓球愛好家の李志成さんは江蘇省鎮(zhèn)江市出身で、日本で働いて6年になる。李さんは、「一人で異國の地に來て、さみしかった。でも、トウさんの卓球センターに來るようになってからは、卓球の腕も上がったし、中國人や日本人の友達もたくさんできた」と語った。

トウさんは卓球を通して、日本人と中國人の交流を促進し、両國の國民の距離を縮めている。トウさんは今後も「ピンポン外交」をずっと続けていくだろう。(提供/人民網(wǎng)日本語版?編集/KN)

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