<寫真特集>皇族も訪れた日本統(tǒng)治時(shí)代の洋風(fēng)建築、見上げる人の視線の先に今あるものは…

蕭文彬    2016年8月4日(木) 15時(shí)2分

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臺(tái)灣臺(tái)南市の一角に、日本統(tǒng)治時(shí)代の瀟灑(しょうしゃ)な洋風(fēng)建築が殘されている。撮影したのは臺(tái)灣南部を中心に活動(dòng)するカメラマンの蕭文彬だ。

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臺(tái)灣臺(tái)南市の一角に、日本統(tǒng)治時(shí)代の瀟灑(しょうしゃ)な洋風(fēng)建築が殘されている。

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1900年に建設(shè)されたこの建物はかつての臺(tái)南県知事官邸。撮影したのは臺(tái)灣南部を中心に活動(dòng)するカメラマンの蕭文彬(シャオ?ウェンビン)だ。同官邸は皇族が訪問された際の宿としても使用されており、昭和天皇も皇太子當(dāng)時(shí)、お泊りになった。1941年までに約20人の皇族が訪問されたという。

現(xiàn)在は市の古跡に指定され、「時(shí)鐘樓」とも呼ばれている。象牙色の外壁に、レンガでできたアーチが印象的だ。庭から2階を見上げ、廊下を行き來した人に想像を膨らませるのも楽しい。(編集/野谷

●蕭文彬(シャオ?ウェンビン)

1956年生まれ。臺(tái)灣臺(tái)南市出身。幼少時(shí)代は貧しい家庭に育つ。父の「家族寫真を撮るためカメラを借りたい」との申し出を親戚が斷ったことが、プロのカメラマンを目指すきっかけとなった。初めて手に入れたカメラは中古のペンタックス。ここから本格的な撮影技術(shù)の學(xué)習(xí)をスタートさせる?,F(xiàn)在は臺(tái)灣南部を代表するカメラマンとして中華南群撮影學(xué)會(huì)理事長(zhǎng)や臺(tái)南市撮影學(xué)會(huì)の副理事長(zhǎng)を務(wù)める。2015年12月には臺(tái)南市の新光三越で個(gè)展を開催した。

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